読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

れもんあいか

女子を女子として生き抜けない中ではわりと女子な女子

承認欲求というキーワード

この約3週間何をしていたかと言いますと,今までの人生で一番間違いに間違いを重ねていました。どういうことかはご想像におまかせするとして,とりあえずいっぱい遊んでいました。そんな中で本の彼にふられました。

 

まず言いたいのは私からハッパをかけたということ。そろそろ答えがほしいと急かして,頂いた答えは今後好きになることがありそうにないというものでした。もちろん優しい彼がそんな端的にはっきりと私を傷つけたわけもなく、私の言葉で簡単にまとめるとそういう言い回しになるということなのですが、とりあえず、言うのおせえよと。

私がハッパかけてなかったらわたしはあと何ヶ月も先にふられていたのかと思うと恐怖です。頼むからもっと早く言ってほしかった。そして遠回しに遠回しに言葉を選んだ結果、好きだった時期もあったんだけど、あいかじゃだめなわけじゃないんだけど、迷ったんだけど、と言葉を並べられたことで、でもそこまでしてもやっぱり無理だったのかって言うかんじがして、より傷ついた。言うならすっぱりはっきりと。大切だなと思いました。

でもやっぱりわたしは彼が好きですし、そうやって傷つけまいとしてくれた彼が好きですし、ずっと大切な人です。ただ、言うのおせえよ。

何故にこんなにも涙がでるのかと思うくらい泣きました。

弱みにつけ込まれる状況を作る私も悪いのだけれど、弱みにつけ込んでワンチャン狙う男が世の中にはしっかりたっぷりいることも学び、さすがに全部けっちらしてやりました。女なめんなと。

 

あと最後に、本の彼とは数回関係を持っていたのですけれど、最後にね、彼が、無理だと思った原因となった日の前に会った日(わかりづらい)にも致していたんですね。

わたしからしたら、その日に致して次ぎ会ったとき突然冷たくなって、あーこれはそう言う目的だったのかと。本の彼を信じたかったけれど、その頃、そーいうこと(やろうとかやろうとかやろうとか)を言ってくる輩にうんざりして、しかもそれが元からの知り合いばっかりだということで、わたしの魅力の中心はそこかよと、なんかもうかなりげんなりしていた頃の出来事だったので、もしかしたら本の彼も最後にもう1回そういうことがあって、わたしとのことは満足してしまったのかな?とか思ってしまって不信感がかなり高まっていました。

そんな訳で最後の振られ話のとき、なんであのときそういうことをしたのかって聞いたんです。そしたら、確定的な気持ちでないにしろ、迷いはあったけど私に好意はあったのでいいかと思った、したら好きになれると思った、と。

 

いや、わたしのからだやっす!!かっる!!!ってなりませんか?わたしとしては。全然好きでない人にやすく見られても、はいはいさよならで終わるんですけど、好きな人にそんなに軽く見られて、そしてした結果好きになれませんでしたって、いやそれは当然でしょうよって思います。

したら好きになっちゃったとか女子か。男の子でそんなことはありえないんですよ。

情が移ることはあっても、好きになることなんてないと思う。好きからさらに好きになることはあっても、好きでないところから、したことによって好きが生まれることは、少なくとも男性に置いてはないのではないかと。

驚くほど軽かった彼の中での私の価値を知れて、それはそれで勉強になったなとは、思います。でも、私は彼に好きになってほしかったし、彼のことをずっと好きでいたかったのです。

これは私の穿った見方で、彼の本意ではないのだろうし、彼が実際私と向き合おうとしてくれたことも事実で、手を出すべきではなかったのかもしれないけど、目の前にね、そういうことが用意されたとき、そうなっちゃうのは男の人なら仕方ないことも、意味を求めたり責めたりすることに意味がないことも本当は分かっているのです。

だから、ここまで愚痴ブログになっても、私は彼と友達に戻って、つらいってもう言わないように、しっかりにこにこやっていこうと。思っているので、頑張ります。

 

 

そう、で、ブログタイトル。

承認欲求。

 

最近立て続けにウェブ上でこの承認欲求というワードを見る機会があって、それについて考えてみました。

誰かに認めてもらいたいなってことです。誰かに認めてもらいたいけど、自分で自分を認めてあげたいし自分に認められたいっていうのがわりとよくある結論で、きっと最終的にはそれが真理なのだろうと。自己肯定感。自分で自分をステキだなと思えないと生きていくのはしんどいし、卑屈になってしまう。

少し前に読んだマンガで姉の結婚というのがあって、これもアラフォーの不倫マンガっていうそれだけ聞くとかなりの鬱マンガなんですけど、わたしはこれが好きで、これの中に誰かに死ぬほど愛されたことがないのは、自分で自分のことを愛していないから、愛しているものを共有できないということだからというくだりがあって。

わりとわたしはこれが正しいと思います。わたしはこの子の、この人のこんなところがステキで尊敬できてだから一緒にいたいなと思っているのに、相手の人がそのこんなところに対して最低だ、ありえない、わたしなんてって言っていたらがっかりして、わたしが伝えている愛に意味がないのかなって思ったり、悲しくなったりしそう。だから結局は自分で自分を愛するほかないのでしょうけれど。

でも自分を愛したり自分を認めるには、誰かに愛されている自分、誰かに認められている自分が必要な気もしていて、結論として承認欲求を自分に向けていくのは結構難題なのではないかなと思っています。

ただその承認欲求が場合によって人に迷惑をかけることは事実で、わたしもきっと本の彼にそういうたぐいのことで迷惑をかけてしまったのではないかと思います。

というのが最近の反省点。

承認欲求を他人に迷惑をかけずに満たしていくためには相当の道のりが必要。

生きろ21歳。