不特定多数に好かれたいという病気
不特定多数に好かれたいという病気にかかっている若者がどれくらいいて、そこからもう抜け出している若者がどれくらいいて、初めからそんな病気にはかからないという人間がどれくらいいるのだろうかと考えている。
不特定多数に好かれたいという病気というフレーズは、石田衣良の余命1年のスタリオンという本の中に出てくる、らしい。
らしいというのは、不特定多数で検索(検索した理由はまあそういうことですが)するともしかしてのところにそれが出てきたから知っただけで、わたし自身はそのフレーズを確認してはいないから。
どんな本か気になって、昨日図書館に行ってみた、わけではなく、友達とランチを食べたあと、友達はバイトに行ってしまい、あれこれ人を誘ってみたけど誰もつかまらなくて、やることがなくて寂しくて、でもそのまま家に帰るのもなんだったので図書館に行って、行ってからその余命1年のスタリオンのことを思い出したので、手に取ってみました。
思いのほか分厚い本で、飽き性のわたしには読めないだろうなと初めからひしひしと感じる本でした。案の定、不特定多数に好かれたいという病気という言葉には巡り会えないままその本を閉じた。
しかもどんな流れでその言葉が出てきたのかも推察できるにも至らなかった。
不特定多数に好かれたいという病気ということばになるほどと思う反面、なんとなくしっくりとこないのは、なぜなのだろう。
わたしの好きなアイドルに佐藤亜美菜というひとがいて、亜美菜は愛されたい愛したいでもやっぱり愛されたい、というのがキャッチフレーズだったのだけれど、わたしもそれだなあと思う。
愛すると愛されなくて苦しい。愛されると愛せなくて苦しい。
愛して愛されないと、次はわたしを愛してくれる人を選ぼうと思うのに、愛してくれる人を愛せなくて苦しむと、やっぱり愛することが大切なのだなあとか思う。
だから今起きている困ったことは、わたしのことを愛していなくて、わたしも彼のことを愛していなくて、でも優しくしあえる、その人といるのがとても心地よく感じてしまうということ。
わたしはただのビッチで、本の彼からの連絡を待ちながら、元彼さんに連絡をしながら、そのもう1人と電話をしていた。
ふだん連絡をほとんど返してくれない本の彼が、その人と電話をしている時だけなぜかすぐに返信をくれて、エスパーなのではないかと思った、
そんな夏。
眠たくなったので
続きと詳細はまたこんど。
愛することが追い詰めることになってゆく
バスルームから星が見えるよ
/俵万智