わたしの鬱ソング
昨日は節分でしたね。
昨日はとてもいやなことがありました。わたしは男のひとが元来あまり好きではなかったのですけど、ああこういうのがダメだったんだって突きつけられるような方とご飯に行きました。
無神経で、自分本位の気持ちを押し付けてくることを、社会人と常識というオブラートで包んでわたしに飲み込ませてくるようなひとでした。怖かったです。
こわすぎて不愉快過ぎて、たくさんの男のひとにラインをして迷惑をかけたけど、誰とも別に会いたくはなくて、きちんと自分のお家に帰ってきた。
みんな本当に優しいな。そしてわたしはメンヘラだなあと思いました。ありがとう。
あと、節分は、世界で1番大切で、今までの人生で1番愛してたって言えるひとのお誕生日でした。
健康で幸せで素敵な1年にしてくれたらいいなと思っています。やっぱり特別で、本当に本当に本当に大切だから、遠くにいることも、もう仲良くできないかもしれないことも、全部やっぱりつらいんですけど、でも、心の底から本当に幸せになってほしいって思ってます。元気でやってほしいな。やりたいことが全部叶ってくれますように。そのためにあのバカがちゃんと頑張れますように。
奴はわたしが奴のことをとても大事に思っていることも、一生大切に思うだろうことも、理解できないそうです。てことは、彼が今の彼女さんを思う気持ちより、わたしが彼を好きだった気持ちの方が上だったってことだから、それはそれでいいや。
バイクも乗るし酒も飲むし、院がかかっててもなかなか勉強に踏み出せないおバカさんが世界で1番大事なひとを見つけて怪我をせず体を壊さず幸せに健康にやりたいことを全部叶えてくれますようにって。いう、ただの自己満足です。さよなら過去。
わたしの最近の鬱ソング
プラマイ/aiko
youtu.be
何が鬱ってPVが鬱です。
別れた彼氏の部屋に監視カメラをつけ、一面お花だらけの暗い自室で監視。不在の時に不法侵入、私物を持ち帰る。新しい彼女とのデートをストーカー。医薬品認定された忘れられるスイーツを食べて彼にマンガやDVDを返しに行くも、やっぱり忘れたくなくて帰り道に泣きながら吐こうとする、でも吐けない。曲自体はただ忘れられないってだけで言うほど鬱じゃないんですけど、とにかくPVの鬱さを踏まえて聞くと聞くだけで鬱です。でもなんどもPVを繰り返して見てしまう中毒性がある。さすがaikoです。あいつより好きだったとか言わないでっていう出だしがaikoの曲の中で1.2を争うくらい好き。
初恋/奥華子
youtu.be
鬱ソングというかただの失恋ソングなんですけど、何度聞いても泣けるし切ないし落ち込む。
もう見るだけでも構わないとかそんなはずなくて、やっぱり声が聞きたいし、会って話したいし、、大好きだけど、でももう2度と会えないよりはマシっていう…ただの失恋ソング。
君だったら/HAPPY BIRTHDAY
youtu.be
新しい彼氏がいるのにね、てやつです。
君だったら幸せだったのに。
まあ節分の彼のことですね。
おまけのハッピーソング
Abbot Kinney/Lovepshychedelico
youtu.be
全英詞なんですけど、一言でまとめるとずっとあなたと歩いて行きたいなって感じです。めちゃくちゃなハッピーソング。歌うととっても元気が出る、わたしの中の最高のハッピーソングです。Lovepshychedelicoは作業してるときのBGMとしても使えるし全体的に好き。
以上です。
節分が終わったので今日からは暦上春ですが、まだまだ寒い日が続くので、元気に生きていきましょう。では。
ものすごく重く暗い日記
はてなブログにこういうものを求めている人はいないだろうし、だからはてなブログの片隅でこういうものを書くのはなんだか場違いで恥ずかしいのですけれど、聞いてください。
相変わらず男性からは無料セックスマシーンのような扱いを受けています。いや男性全員ではないのだけれど。もちろんしていませんよ。
押せばやらせてくれそうだと思われている。やろうって言ってくる人がいる。わたしの満たされなさに気づかれている…。
やろうとか、やりたいとかって言われることは、かなしいです。とても。今回の3人、もしくは4人?は、友達、だったのに。もう友達と思えない。怖いです。
なんとなく死にたい、ってやつ。
乳幼児突然死症候群みたいな死に方で死にたいなと思います。わたしの満たされなさは、両親との関係から来ていると思う。
ただ、わたしのこの足りなさや、成長していく過程でうまく習得できなかったものや、欠落している部分を、すべて親のせいにすることが甘えだということは重々承知なのです。
でも、やっぱりわたしには足りない。自己肯定感が足りない。
それを男性に女性として必要とされることで埋めようとしてしまう。そんなことじゃ満たされないのもわかっているのに、それが終わってしまった時、とても傷つくこともわかっているのに。
わたしのこの生きづらさはどこからくるんだろう。
なにがだめなんだろう。
愛されたい愛されたい愛されたいってずっと叫んでいるような気持ち。それが見える人には見えるんだろうなあ。
生きづらい…
今日みたいな明日が続いて毎日が生きづらくてこのまま誰にも愛してもらえないんだろうか。
わたしは、お母さんに、なんとなく死にたいなあと言った時、そんなこと言っていたら私なんかどうするの、仕事がこんなに大変で毎日帰るのも遅くて〜〜〜と言ってほしいわけではなくて、どうしたの、死にたいほどいやなことがあるの、死んだらいやだよってただ言ってほしい。
わたしのつらいなっていう気持ちに寄り添ってほしいだけ。
摂食障害がようやく治って、治ってというか、わたしの中の火種がかなり小さく小さくなってくれて、ちょっとやそっとでは火が大きくならないようになって。
摂食障害のとき、わたしは、食べるのをやめなさいって言ってほしいわけでも、吐くのをやめなさいって言ってほしいわけでも、コンビニのおかゆやサラダを買ってきてほしいわけでもなくて、ただつらいねって一緒に悲しんで欲しかったし、お母さんのご飯なら食べられることに気づいてほしかったし、頑張って治したいと思っている気持ちに寄り添ってほしかった。でもかなわなかった。
なにが書きたいのだろう。
お母さんもお父さんもわたしを愛してくれていたはずなのに、わかっているのに、ずっと何かが足りなくて、それを補おうとして、男の人に求めてしまうから…
今の、彼氏さん?は、
つらいねって言ってくれるから、
好きです。ありがたいです。
摂食障害が治ったのは、
彼のおかげです。
こんなメンヘラなわたしを
まるごと大丈夫っていってくれて
毎日かわいいねって言ってくれて
そのおかげで治りました。
なにがだめなのかなあ。
どこまで
もういろいろとすっとばかして。
今は一緒にいる人がいます。
元カレさん。もとさや。
彼氏さんの腕の中で
ずっと丸まっていたいなあ、、
承認欲求というキーワード
この約3週間何をしていたかと言いますと,今までの人生で一番間違いに間違いを重ねていました。どういうことかはご想像におまかせするとして,とりあえずいっぱい遊んでいました。そんな中で本の彼にふられました。
まず言いたいのは私からハッパをかけたということ。そろそろ答えがほしいと急かして,頂いた答えは今後好きになることがありそうにないというものでした。もちろん優しい彼がそんな端的にはっきりと私を傷つけたわけもなく、私の言葉で簡単にまとめるとそういう言い回しになるということなのですが、とりあえず、言うのおせえよと。
私がハッパかけてなかったらわたしはあと何ヶ月も先にふられていたのかと思うと恐怖です。頼むからもっと早く言ってほしかった。そして遠回しに遠回しに言葉を選んだ結果、好きだった時期もあったんだけど、あいかじゃだめなわけじゃないんだけど、迷ったんだけど、と言葉を並べられたことで、でもそこまでしてもやっぱり無理だったのかって言うかんじがして、より傷ついた。言うならすっぱりはっきりと。大切だなと思いました。
でもやっぱりわたしは彼が好きですし、そうやって傷つけまいとしてくれた彼が好きですし、ずっと大切な人です。ただ、言うのおせえよ。
何故にこんなにも涙がでるのかと思うくらい泣きました。
弱みにつけ込まれる状況を作る私も悪いのだけれど、弱みにつけ込んでワンチャン狙う男が世の中にはしっかりたっぷりいることも学び、さすがに全部けっちらしてやりました。女なめんなと。
あと最後に、本の彼とは数回関係を持っていたのですけれど、最後にね、彼が、無理だと思った原因となった日の前に会った日(わかりづらい)にも致していたんですね。
わたしからしたら、その日に致して次ぎ会ったとき突然冷たくなって、あーこれはそう言う目的だったのかと。本の彼を信じたかったけれど、その頃、そーいうこと(やろうとかやろうとかやろうとか)を言ってくる輩にうんざりして、しかもそれが元からの知り合いばっかりだということで、わたしの魅力の中心はそこかよと、なんかもうかなりげんなりしていた頃の出来事だったので、もしかしたら本の彼も最後にもう1回そういうことがあって、わたしとのことは満足してしまったのかな?とか思ってしまって不信感がかなり高まっていました。
そんな訳で最後の振られ話のとき、なんであのときそういうことをしたのかって聞いたんです。そしたら、確定的な気持ちでないにしろ、迷いはあったけど私に好意はあったのでいいかと思った、したら好きになれると思った、と。
いや、わたしのからだやっす!!かっる!!!ってなりませんか?わたしとしては。全然好きでない人にやすく見られても、はいはいさよならで終わるんですけど、好きな人にそんなに軽く見られて、そしてした結果好きになれませんでしたって、いやそれは当然でしょうよって思います。
したら好きになっちゃったとか女子か。男の子でそんなことはありえないんですよ。
情が移ることはあっても、好きになることなんてないと思う。好きからさらに好きになることはあっても、好きでないところから、したことによって好きが生まれることは、少なくとも男性に置いてはないのではないかと。
驚くほど軽かった彼の中での私の価値を知れて、それはそれで勉強になったなとは、思います。でも、私は彼に好きになってほしかったし、彼のことをずっと好きでいたかったのです。
これは私の穿った見方で、彼の本意ではないのだろうし、彼が実際私と向き合おうとしてくれたことも事実で、手を出すべきではなかったのかもしれないけど、目の前にね、そういうことが用意されたとき、そうなっちゃうのは男の人なら仕方ないことも、意味を求めたり責めたりすることに意味がないことも本当は分かっているのです。
だから、ここまで愚痴ブログになっても、私は彼と友達に戻って、つらいってもう言わないように、しっかりにこにこやっていこうと。思っているので、頑張ります。
そう、で、ブログタイトル。
承認欲求。
最近立て続けにウェブ上でこの承認欲求というワードを見る機会があって、それについて考えてみました。
誰かに認めてもらいたいなってことです。誰かに認めてもらいたいけど、自分で自分を認めてあげたいし自分に認められたいっていうのがわりとよくある結論で、きっと最終的にはそれが真理なのだろうと。自己肯定感。自分で自分をステキだなと思えないと生きていくのはしんどいし、卑屈になってしまう。
少し前に読んだマンガで姉の結婚というのがあって、これもアラフォーの不倫マンガっていうそれだけ聞くとかなりの鬱マンガなんですけど、わたしはこれが好きで、これの中に誰かに死ぬほど愛されたことがないのは、自分で自分のことを愛していないから、愛しているものを共有できないということだからというくだりがあって。
わりとわたしはこれが正しいと思います。わたしはこの子の、この人のこんなところがステキで尊敬できてだから一緒にいたいなと思っているのに、相手の人がそのこんなところに対して最低だ、ありえない、わたしなんてって言っていたらがっかりして、わたしが伝えている愛に意味がないのかなって思ったり、悲しくなったりしそう。だから結局は自分で自分を愛するほかないのでしょうけれど。
でも自分を愛したり自分を認めるには、誰かに愛されている自分、誰かに認められている自分が必要な気もしていて、結論として承認欲求を自分に向けていくのは結構難題なのではないかなと思っています。
ただその承認欲求が場合によって人に迷惑をかけることは事実で、わたしもきっと本の彼にそういうたぐいのことで迷惑をかけてしまったのではないかと思います。
というのが最近の反省点。
承認欲求を他人に迷惑をかけずに満たしていくためには相当の道のりが必要。
生きろ21歳。
不特定多数に好かれたいという病気
不特定多数に好かれたいという病気にかかっている若者がどれくらいいて、そこからもう抜け出している若者がどれくらいいて、初めからそんな病気にはかからないという人間がどれくらいいるのだろうかと考えている。
不特定多数に好かれたいという病気というフレーズは、石田衣良の余命1年のスタリオンという本の中に出てくる、らしい。
らしいというのは、不特定多数で検索(検索した理由はまあそういうことですが)するともしかしてのところにそれが出てきたから知っただけで、わたし自身はそのフレーズを確認してはいないから。
どんな本か気になって、昨日図書館に行ってみた、わけではなく、友達とランチを食べたあと、友達はバイトに行ってしまい、あれこれ人を誘ってみたけど誰もつかまらなくて、やることがなくて寂しくて、でもそのまま家に帰るのもなんだったので図書館に行って、行ってからその余命1年のスタリオンのことを思い出したので、手に取ってみました。
思いのほか分厚い本で、飽き性のわたしには読めないだろうなと初めからひしひしと感じる本でした。案の定、不特定多数に好かれたいという病気という言葉には巡り会えないままその本を閉じた。
しかもどんな流れでその言葉が出てきたのかも推察できるにも至らなかった。
不特定多数に好かれたいという病気ということばになるほどと思う反面、なんとなくしっくりとこないのは、なぜなのだろう。
わたしの好きなアイドルに佐藤亜美菜というひとがいて、亜美菜は愛されたい愛したいでもやっぱり愛されたい、というのがキャッチフレーズだったのだけれど、わたしもそれだなあと思う。
愛すると愛されなくて苦しい。愛されると愛せなくて苦しい。
愛して愛されないと、次はわたしを愛してくれる人を選ぼうと思うのに、愛してくれる人を愛せなくて苦しむと、やっぱり愛することが大切なのだなあとか思う。
だから今起きている困ったことは、わたしのことを愛していなくて、わたしも彼のことを愛していなくて、でも優しくしあえる、その人といるのがとても心地よく感じてしまうということ。
わたしはただのビッチで、本の彼からの連絡を待ちながら、元彼さんに連絡をしながら、そのもう1人と電話をしていた。
ふだん連絡をほとんど返してくれない本の彼が、その人と電話をしている時だけなぜかすぐに返信をくれて、エスパーなのではないかと思った、
そんな夏。
眠たくなったので
続きと詳細はまたこんど。
愛することが追い詰めることになってゆく
バスルームから星が見えるよ
/俵万智